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2019.07.10

A leaf ~hitory of Ginza ~

銀座の街とSAYEGUSA。歩みの1ページ

「ギンザのサヱグサ文化事業室」。そこには銀座にまつわるさまざまな文献、資料が収蔵されています。
銀座の街とともに歩んできたSAYEGUSAが案内する、未来へと伝えるべき記憶の1ページ。新コンテンツとして紹介していきます。

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ギンザのサヱグサ文化事業室

銀座の街のとあるビルの一室。
部屋いっぱいに詰まった古い本や写真、たくさんのファイル……。
そしてそのすべてが「銀座」の街にゆかりのあるものたち。
ここが、SAYEGUSAが2013年に開設した「ギンザのサヱグサ文化事業室」です。

この場所が生まれたきっかけは、先代であるギンザのサヱグサ四代目、三枝進が、銀座の歴史を研究していたことにさかのぼります。四代目として商売に専念する傍ら、長年にわたり個人的に銀座に関する資料を多数蒐集してきました。

中でも、1872年に東京で起きた大火災「銀座大火」後に造られた街並み、銀座煉瓦街の総合建築士であるT・J・ウォートルスの足跡を中心とした研究に力を入れていたといいます。


こうした四代目の研究・収集物を保存管理し、銀座の更なる発展につながるような活動を続けていきたいという想いから、2013年、創業145周年を迎えるにあたりこの「ギンザのおサヱグサ文化事業室」を開設しました。

収蔵品は、銀座に関わる錦絵、書籍、新聞、写真、ポストカード、書簡、地図、マッチラベル、楽譜、絵画、洋服、包装紙、瓦版等多種にわたります。現在一般公開はしていませんが、企業、研究者、メディア等の要望に応じて、閲覧、展示協力、貸出を行なっています。

銀座の街とともに150年間歩んできたギンザのサヱグサ。
これからも、長い歴史が積み上げてきた大切なものを文化としてしっかりと守り続け、その価値を未来に向けて発信することを目指しています。

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銀座の「銀」

銀座の歴史や文化を語る上で、まず最初に知るべきは「銀座」という地名とその由来について。
この銀貨や銀を包むための包装紙が、銀座のはじまりを語ります。

そもそも今、銀座がある東京都中央区エリアの土地が作られたのは江戸時代。

関ヶ原の戦(1600年)で勝利して征夷大将軍に任命された徳川家康による幕府が誕生し、江戸城の城下の大規模な埋め立て工事によって、造られた土地です。

江戸を大きな城下町にすべく、商人たちがこのエリアに次々と店を構え、物の売買が行われていたといいます。

「銀座」という地名は、1612年に今の静岡の方面から銀貨の鋳造所が江戸へと移り、その管理を行う江戸役所が設置されたことに由来します。

「銀座」とは、銀貨の鋳造所のこと。このエリアでは金や銀などの交換が行われていたこともあり、もともとは「新両替町」という地名でしたが、1800年に江戸役所が牡蠣殻町に移転以来、1869年に正式に「銀座」という町名になりました。

今でこそ銀座といえば、京橋から新橋挟まれたエリアを指しますが、当時の銀座は銀座一丁目から四丁目。ギンザのサヱグサは今もなお、その銀座のはじまりの場所に本社ビルと店舗を構えています。

江戸時代の貨幣は「金・銀・銭」からなる三貨制度。それぞれ数え方も異なり、銀貨は重さの単位である「匁(もんめ)」で表され、取引のたびに秤で測る「秤量(ひょうりょう)貨幣」でした。

文化事業室には、上の写真の銀貨「亨保丁銀」、「二朱銀」、「一分銀」など、正式に「銀座」となる前に造られた古いものも。ちなみに、丁銀とは銀60匁(1匁=3.75g)のことで、一分銀16枚と二朱銀8枚分に値します。中でも丁銀は、裸のままで使用されることはほとんどなく、「包銀」といって500匁ごとに和紙に包まれていました。その貴重な包み紙も大切に保管されており、「銀座」の刻印がこの場所で造られたことを証明しています。

たった一枚の銀貨からでも、さまざまな視点や切り口から歴史のストーリーがどんどん広がります。
「ギンザのサヱグサ文化事業室」から発信する「銀座」のお話は、まだまだほんの一部にすぎません。