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2022.02.02

<Sayegusa Experience Talk> No.12 五箇公一さん

生態学者・五箇公一さんが語る
生物として自分を見つめ直すことの大切さ

第12回目は、「ダニ博士」「外来種バスター」の異名を持ち、黒ずくめにサングラスがトレードマークの生態学者、五箇公一さんをお迎えしました。著書『これからの時代を生き抜くための生物学入門』(辰巳出版)では、新型コロナウイルスの感染が収まらない今こそ、生物多様性の認識と助け合いの精神が必要であると訴えます。その中で、特に心に残ったのが、「生物学を学べば、人はもっと強く、もっと優しくなれる」という言葉でした。対談では子どもの体験をキーワードに、生物多様性を知り人間という生物として自分を見つめ直すことの大切さから、日本という国のあり方にまで話題が広がりました。

今回の対談は、オミクロン株の急拡大に伴いリモートで行われました。

 

五箇公一(ごかこういち)

1965年、富山県出身。専門は生物多様性、保全生態学。京都大学大学院修士課程修了後、大手化学メーカーに勤務。在職中に京都大学で論文博士号(農学)を取得。1996年から、国立環境研究所に転じ、現在は、外来生物研究プロジェクト・リーダーを務める。東京大学、東京農工大学などでも非常勤講師を務める他、生物や環境に関する様々な番組の解説者としても活躍中。
高校時代は登山部に所属。京都大学農学部に入学後もサークル活動として登山する傍ら、オフロードバイクにはまって日本一周をする。怪獣フィギュアのコレクション、CGで生き物の絵を見事に描くのが趣味。
著書に『クワガタムシが語る生物多様性』(創美社)、『終わりなき侵略者との闘い~増え続ける外来生物~』(小学館)、『これからの時代を生き抜くための生物学入門』(辰巳出版)がある。 共著に『生態学からみた野生生物の保護と法律』(講談社)、『生態学入門』(東京化学同人)、『いきものがたり』(ダイヤモンド社)など多数。

三枝:本日はお忙しい中、ありがとうございます。直接お話をお伺いできないのが残念ですが、どうぞよろしくお願いいたします。先生の専門分野に対して私は本当に門外漢ですので、今回はお聞きする側に徹しようと思います(笑)。

先生の近著、『これからの時代を生き抜くための生物学入門』を大変面白く読ませていただきました。まずは、この本について、どのような経緯で、どのような思いを持って書かれたのか、ということからお聞かせいただけますでしょうか?コロナ禍があって企画されたのかと思うくらい、タイムリーな内容でした。

 

五箇先生(以下敬称略):そうですね。実はコロナ前に企画されたもので、2019年の発行を予定していました。初めは、大人向けの、生物における性の進化の神秘など、生物学にも縁のない人でも楽しめる本をつくろう、ということだったのですが、口術筆記のためのインタビューを重ねるうちに、生物多様性の話から、今の環境問題や感染症のリスクも含めた人間社会の危機的状況の話、さらには人間社会における多様性とは何か、生物としての人間の特異性、人間社会の歪みやジレンマを生物学的に分析した話題にまで広がって行きました。折しも出版直前に新型コロナが発生したものですから、内容的にタイムリーだったかもしれません。

 

三枝:この2年間のコロナ禍で、自分の既成概念が覆されてしまったように感じた方が多かったと思いますが、本来の考え方を示唆していただくような内容は本当に勉強になりました。

 

五箇:それはよかったです。

三枝:「生物学を学べば、人はもっと強く、もっと優しくなれる」とお書きになっており、それは本当に大事なことだと思います。生物学を通じてそれがどのように理解が進められるとお考えなのか、改めて教えていただけますか?

 

五箇: 生物学で肝心なのは、生物多様性とか生態系のメカニズムが、人間社会を維持する上で非常に重要なポイントであるということです。生物学は小・中・高と学校教育で触れますが、それを知らない人がわりと沢山いると思います。「生物多様性」は重要な環境キーワードとされながらも、「温暖化」ほど耳に入ってこないし、知ったところで、それが何なのかいまひとつ分かりにくいというのが現状です。
でも、生物多様性と人間の関わりというものを、もっとしっかり見つめ直すことが色々な環境問題の本質を知る上で重要なのです。今回の新型コロナの感染症然り、温暖化も含めて環境問題の根っこは、人と生物の関わり方に端を発しているのです。自分自身の社会、あるいは暮らしを守る上で、生物多様性はもっと深く知る必要があるし、私たちも生き物として、他の生き物との関わり方をもっと深く考えなければいけません。

そこには、人間という生物として、他の生物たちに立ち向かっていかなくてはいけないという考え方があります。生物多様性の世界というものは、言ってみれば資源の奪い合い・取り合いの世界です。少しでも自分の遺伝子を残すために、資源をより多く確保しようとするもの同士で共進化しながら、なんとかギリギリのところでバランスをとっている。実は人間も、生き物として、そういった世界の中にいます。共進化の結果、生き物にはそれぞれの取り分というものが決まっていて、生態系という形で関係性が安定化されているのにもかかわらず、人間だけが、そこから外れて生きているわけです。その特殊性というのを知らなければいけない。

しかも、人間というのは生物の道から外れないと生きていけないほど、生物学的には脆弱で不完全な生き物なんです。二足歩行であたまでっかちなこの奇異なスタイルの霊長類は動物的能力が極めて低く、裸でジャングルに放り出されれば、たぶん20分も持ちません(笑)。何かに食われたり、刺されたりしてすぐに死んでしまいます。だからこそ、野生の生き物としての生き様ではなく、人間社会というコミュニティの中で、助け合いと支え合いながら、かろうじて生きていけるわけです。
つまり、人間らしい強さというのは「助け合い」という中にあり、そこには人間としての優しさが必要なのだということを知らなくてはならないのです。

 

三枝:なるほど。人間は多様性に助けられて生きてきた、本当はとても弱い生物だった。その現実を生物学的に捉え直す必要があると。

花の蜜を吸うマルハナバチ

 

五箇:だから、生物学というものを知れば知るほど、実はすごく苛烈な世界だということがわかります。我々は生き物を滅ぼしていて、生物多様性を劣化させていると言われるけれど、実のところ、生物にとってこの程度の絶滅とか撹乱というのは大したことない。地球の歴史から見ればもっと酷いことが沢山起きています。それでも生物は滅びないわけです。極端に言えば、バクテリア一個になったってまた再生して進化を繰り返します。生物はへこたれませんむしろ人間の方がいつ滅んでもおかしくないという状況なのです。
人間は悔い改めて、他の生物との関わりを見つめ直し、人間社会としてのコミュニティの持続性といったものをしっかり考えていく必要がある。そういうのが、実は生物学の中にエッセンスとしてちゃんと入っているのです。

我々自身がもっと生物の進化を知らないと、この人間社会の特殊性というものがわからないし、人間はその特殊性がないと生きていけないのだということを知れば、今ある環境問題というものも、単純にゼロエミッションと言っているだけでことは済むわけではないということが理解できます。この自然社会の中では、私たちが自然に立ち向かいながらも、節度を持って資源を利用させてもらい生きていかなければならないということなのです。

 

三枝:そういうことなのですね。では、極端に言えば、地球上の人間以外の生物からすると、人間はコロナウィルスみたないものだということでしょうか。

 

五箇:いえ、それはちょっと例えが違います。新型コロナのようなウイルスは人間社会からみると邪魔者に見えるかもしれませんが、ウィルスを含めて、感染症を引き起こす寄生体というのは、生態系にとっては非常に重要な生物多様性のパーツなんですね。ノミ、ダニ、カビ、あるいは病原体ウィルスというものが存在しないと生態的バランスが取れません。動物集団の中である種だけが増えすぎてしまうと生態系のバランスを崩す、そうすると「天敵」が必要になります。いわばウイルスたちは「内なる天敵」として、その集団に取り付いて感染症をもたらし、彼らからエネルギーをすい取って数を減らす役割を果たしてきました。そうして、生態系の安定性を保つのです。

当然、感染した動物集団は抵抗性をつけて、より強い種へと進化することが出来る。これを繰り返すことで、数の調整が図られているのです。実際、「外なる天敵」についても、例えばライオンや虎は、足の遅い鈍臭いシマウマなど弱い個体から食べていき、数を調整しながら、足の早い強いシマウマへと進化させているのです。そのように、生態系のバランスを取り、生物が進化を続けるためには「天敵」は必要なものですので、人間をコロナウィルスに例えるのは全く間違っているのです。

 

三枝:そうなのですね。

 

五箇:コロナウィルスは、「内なる天敵」として生態系としては役に立っている存在であり、一方の人間は地球上の最悪のパラサイトです。人間の存在を脅かしているのは人間ということになるんです。自然がもたらす資源やエネルギーを大量に奪い、野生生物に対する圧迫を続け、自然に対しても何も還元しないわけですから。

まあ、数が異常なのです。77億いますから。この大きな霊長類がこれだけ地球上に生息というのは生態系的にはありえない。本来、人間を自然生態系だけで支えるとなると1〜2000万位が限界なのではないか。それが77億という人口を支えられるのは、我々が文明の利器を手に入れたこと、そして何より化石燃料を使い農業・工業で資源を得ているからこそなのです。でも、その資源確保のために、多くの生物たちが犠牲になり環境が汚染されています。

ただ、先ほども言いました通り、それ自体は地球の歴史の中から見たら大したことではない。なぜなら劣悪な環境になればなるほど、それに適応した生物が出てくる。例えば、砂漠でサバクトビバッタが大量発生したり、ゴキブリやねずみなど害虫が大発生したり、今回のような新型ウィルスが発生したりと、結果的には、生物量自体には大きな減少は生じず、人間にとって不都合な生物がどんどん増えてくるのです。それは人間という生き物が、増えれば増えるほど、それを餌にしようとする生き物が増えるということなのです。つまり、ウィルスの発生というのは、生態系のバランスを崩すほどまでに増加した人間に対して、生態系が元に戻そう、復元しようとして生み出した「自然の摂理」なのです。

左からアカケダニ、ヒアリ、クワガタナカセ

 

三枝:なるほど。生態系的にみるとそういうことなのですね。新型コロナウィルスに対しての色々な情報が溢れて頭の中が混乱していましたが、先生のお話を聞いてやっと整理ができました。
ご本に「互恵的利他行動」という言葉が出てきます。これから人間は、他の生物との付き合い方などを見直さなければならないと思うのですが、この考え方が、人間がこの地球上で生きていくために非常に重要なものであるという認識でよろしいのでしょうか?

 

五箇:そうですね。「互恵的利他行動」というのは動物的科学用語です。動物にも「助け合い」というのがあるんですね。草食動物が群れとして子どもを守るというような。例えば、象は川を渡る時、よその子象が流されそうになったら助けてあげます。そうやって恩を売っておくと、今度は自分の子を助けてもらえるからです。象には子どもを見たら助けるという遺伝子が備わっていて、一見、人間のような行動にも思えますが、究極的には、自分の遺伝子を残すという利己目的のために進化しているわけです。

他の野生動物以上に、この助けあいの行動と意識が強く働くように進化させていかないと生きていけないのが「人間」です。野生動物の場合は、よその子どもを助けることはあっても、怪我をしたり、老齢で弱った成体を助けることはありません。人間社会では、そうした人たちも助けようという気持ちを働かせなければなりません。人間にはさらに、それをさらに超越した利他行動が求められます。見返りを求めないくらいの愛がないと人間はダメだということです。人間は、動物学的に極めて脆弱な生き物として、相当特殊な形で社会性を維持していかなければならないのです。

ですが人間は、自然界の猛威から離れ、文明の利器に囲まれた中で、自分たちが強い生き物だと錯覚して生き続けてきたんですね。でもその結果、人間の身体は生物学的には進化していません。動物としてのパフォーマンスは弱いままで、文明の利器がなければ決して生きていけないわけです。その文明の利器を維持するためには当然、社会が必要であり、人間社会を成立させ維持するために重要なファクターとなったのが「助け合いの精神」の進化だったというわけです。人間に求められている利他性というのは、動物学で言われる「互恵的利他行動」以上に、さらに進化したものでなくてはならないのです。

しかし、人間も生き物ですから、ちょっと油断すれば、自分の遺伝子さえ残ればいいという本能が出てくるわけで、現代社会の特に都会において利己性は非常に高まりやすい。
地方ならば、わりとコミュニティーがしっかりしていて、お互いに監視し合うというシステムがあります。これは助け合いの裏返しであり、モニタリングしてお互いの行動を見張っている。今回もコロナにかかってはいけないという危機意識が高かった。
一方、都会は匿名性が高く自己中心的です。特に東京にいたっては、隣にだれが住んでいるかもわからないような一番利他性を失っている社会です。自分一人で生きていけると思い込んでいる、他者との繋がりのない人間集団になっている。自分さえよければ良くて、相手の迷惑は考えられないようなコミュニティが出来上がってしまっている。そうしたらもう、コロナなどは簡単に拡がるわけですね。東京、都会というエゴ剥き出しの人間社会、マイナスの部分が今回のコロナ禍で露呈したのです。

 

三枝:なるほど。今、世の中でSDGsの機運が高まってきました。でも、それが単なるスローガンで終わってしまっては、いろいろな問題が解決しないですね。

五箇:SDGsというのであれば、まず、この新型コロナの問題を解決できなければ意味はありません。それには、やっぱり「助け合い」しかないんです。相手のことを思いやって、相手に感染させないように行動するということと、困窮している業種の人への経済的な救済処置を含めて、とにかく支え合うことしか手がないわけですね。ところが、いざこういう事態になると非常に自己中心的なところでしか思考できなくなる。例えばマスクに関しても、「マスクはしておいた方がいいのだろうけど、めんどくさい。」という人が多いのは、マスクの着用は、自分が感染しないため以上に、相手に感染させないためを前提としているということが理解できていないからです。

本来、いまこれだけ困窮している人たちがいるのであれば、寄付を募るとか、経営者たちが給料返上して寄付に充てるとかがあってもいいけれど、そういう話はほとんど聞かないですよね。いざ災害災禍がみんなの身に降りかかれば、自分のことしか考えられなくなっていくのです。
東日本大震災はローカルで起きた事だったので、東京をはじめ他の地域から、慈愛、救済の精神が起こりました。でもいざ、自分たちにも災禍が降りかかればこの有様です。
このコロナ克服には、人がどれだけ利他性に目覚められるかにかかっているのですが、どんどん災禍がグローバルスケールになり、皆が同じ圧をかけられる状況になると、助け合いの手は伸ばされないのだなというのがよくわかりました。人間のエゴというのはこれほどまでに強いものなのだと、生物学者としては非常に興味深く、同時に悲観的に受け止めざるをえない状況ですよね。ワクチン接種だっていまだ、国や地域によって大差があります。

こうなるとSDGsがいかに絵に描いた餅かということが分かりますよね。難しいことを色々と並べたてているようですが、あれの精神は一つです。「誰一人とりのこさない」。要は、人類みな兄弟、みんなが助け合って平和に生きていこう、ということなのだけれど、実際にこういうパンデミックが起こったら、むしろ自分だけ助かりたいという、沈みゆく船のねずみのような精神が先行しているというのが、今の世界情勢であり、日本においてもその部分が強いと思いますね。今こそ人間として、助け合いの精神による連帯と協調が必要とされている事を理解すべきだと思います。感染する怖さだけでなく、貧困などの社会的弱者も多く出る中、人間社会の多様性を維持するためにも、人と人との共生社会を目指さなくてはなりません。

 

三枝:おっしゃる通りですね。
さきほど少し地方の話が出ましたけれど、サヱグサは、子ども達の良き体験のため、長野県の栄村にあるわずか13世帯の里山とパートナーシップを組ませていただいています。日本の原風景がちゃんと残っている、トトロが三匹くらいいそうな里山なんです。そこでは、子どもたちに里山の営みや、隣人同志の交流の場に触れてもらい、都会で失われたコミュニティの大切さを伝えようとしています。そこは、300年以上前の暮らしのシステムを受け継いできたという里山なのですが、現代の色々な問題を解決するためには、「江戸時代に戻せばいい」という人もいます。先生はそういう意見についてどうお考えですか?

 

五箇: 江戸時代と今では人口がそもそも違いますから、「元に戻す」といっても、まず人口減少からはじめなくちゃいけなくなる。人口が減れば必要とされる資源量も減ります。そして化石燃料に頼らず自然エネルギーによる社会であれば温室効果ガスも相当減ります。
ただし、日本において縄文時代から10000年続いた自然共生社会のひとつの掟として、少子高齢化社会はないのであって、江戸時代においても平均寿命は男で40~50歳しかなかったわけですから、そういう意味では江戸に戻るなどというのは現実的ではありません。そうしたら、私たちの世代はもう消えなければなりませんからね(笑)。

 

三枝:そうですね、私もそろそろお迎えのくる年齢です(笑)。

五箇:そういう自然淘汰というものを人間が受け入れての江戸ですから、それは今の人間社会の幸せとは別物になってきますよね。

ただ、日本は縄文の時代から江戸に至るまで、せまい島国で全てを循環し完結させてきた、超持続型自然共生社会を維持してきた歴史をもっています。とくに江戸時代の循環システム、省エネ社会には学ぶべきところが多くあります。化石燃料には頼らず、木材資源を起点として、里と自然の繋がりを上手く利用した形での、生態系に乗っかった循環システムです。そういった循環システムそのものをローカルでまわしていくというのは、現代日本でも十分に可能性があります。
特に、日本のように地下資源がない国にとっては、環境に合わせて資源やエネルギーを地域レベルで循環して、自立した地域経済社会を確立するというのはよほど適応的だろうし、その方が安定するであろうということははっきりしています。

ですが、そうは言っても、農林水産業は安定生産が保証された産業ではなく、気象条件によっても大きく変わってくるものです。林業にいたっては非常に長いタイムスパンのシステムです。若い世代の人たちに、そこに携わってもらうためには相当の安心安全、そして安定の担保が必要。ですからそこには、革新的技術の投入が不可欠です。
今のIT、AIを持ってすれば、農作物、林産資源、水産資源の確保は、かなり機械化できるだろうと予測されています。究極的には「お座敷農業」と呼ばれる、自宅で操作しながらでも農業ができるくらいにまでになれば、若者たちでも安定して関わることが出来ます。若者がそういった生産基盤のある地域に安心して住み、そこで家族を持つことで、地方分散型社会の根っこが出来ます。
江戸時代のシステムや精神を知った上で、いかに現代社会に活用するか。新しいテクノロジー、情報をもって、安心安全安定な江戸文化を進化させるということが課題となるでしょう。農林水産業という一次産業を基軸として、地域密着型の商工業システム、地域循環型の自然再生エネルギーシステムを確立して、地方で安心して、豊かな生活を送れる社会をつくる。そういう地域は、今回のようなパンデミックや自然災害、国際危機に対しても順応性が高くなるのではないでしょうか。

 

三枝:なるほど。今回のように、世界が一斉にウイルスにやられてしまうような事態を避ける為にも、行き過ぎたグローバル化を見直し、地域ごとに持続可能なライフスタイルへと転換することが大切、そのためのヒントとなるのが「江戸時代の暮らし」ということなのですね。

五箇:いまのグローバル経済は、資源争奪型・成長一点張りの資本主義経済であり、これは一種の経済闘争です。人間の歴史の中では武力闘争という側面が非常に強く、これは生物としてのテリトリーの取り合いであり、生物学的には生物の本性というか根幹として仕方のない時代というのはあったと思うのですが、今は、人間もだいぶ賢くなってきて、細く長く安定させることが得策だと分かってきたのです。皆がこのことに気づかなければならないのですが、このコロナ禍をもってしても、まだ自国主義、自分の国と経済を安定させるというテリトリー主義というのはまだまだ蔓延っているし、むしろ強化されてしまいました。そうなると、人間はあといくつかの波乱を経て、もう少し賢くならないといけないかもしれないですね。

 

三枝:これまで日本は、経済成長という名の拡大・拡張を続けてきたわけですが、これからは拡充・深耕の方向に社会を向かわせなければいけないのではと感じていました。

 

五箇:そうですね。かつての江戸も拡張というよりは、暖簾を守るというような持続性を大事に優先していたから、この狭い島国で300年も安定していたのですね。
そういう方向に、今の人間社会が向かっていけばいいのですが、自分の人生を謳歌するという時間的・資源的余裕を経験してしまうと、次世代のことよりも、自分自身の人生の悦楽を最大化する方向に大脳が進化してしまい、他人の事に関心がない、自分さえよければいいというエゴが生じやすくなります。いまはまだ、経済拡大期、高度成長時代の甘美な汁の味を覚えている人間が大勢いるわけですから・・・。
でも、いまの世代はだんだん冷めてきていますよね。

 

三枝:ええ。今の子達は経済の拡大ということに対して、すごく冷めていると思います。

 

五箇:彼らは生理的にそういう経済成長世代からだんだん離れるようになってきていて、このコロナ禍で一層のパラダイムシフトが期待できます。安心安全がいかに大切がということを、今の若い世代は感覚で知っている。同時に、グレタさんのように、古い世代が作ってきたこの汚い世界を憂う気持ちが高まると、「二の轍を踏んではいけない。本当に大事なのは何か?自分と自分の家族、子供たちが安心して暮らせる社会というのが実は一番なのだ」と理解するようになります。

物質的な欲求から、精神的な幸福度、つまりGDPとは違ったところの指標に豊かさを求めるように多くの人がパラダイムシフトすると、必然的に経済システムも変わってくるだろうと思います。ただ、資本主義、拡大経済主義からの脱却には、世代交代が完全に行われるまで、もう少し時間がかかるでしょう。

 

三枝:今、日本のGDPは世界3位ですが、幸福度では56位だそうですね。このまま若い世代の方たちが、どんどんイノベーションを起こし、本来あるべき方向に進んでくれるといいなと思います。でも、その時、私たち世代は戦犯のようになることを覚悟しなきゃいけないですね(笑)。

 

五箇:そりゃそうですよ。仕方ないですよね(笑)。だって、自分たちの時代が一番、資本主義経済の甘い汁を享受して生きていたと思いますもん。何も考えずに地球資源を使い楽しい生活を送らせてもらっていたので、いざ、振り返ると、確かにこうなるよね。と反省しているわけで。

 

三枝:ちゃんと残りの人生の中で返していかなければいけないですね。

 

五箇:環境問題を特集するTVや講習会などを見ていても、よく、「これから若い世代が担わなければならない問題」って言いますけど、それは違うでしょって思います。それをなんとかしなければならないのは我々とその上の世代の人間であって、若者につけを払わすのは違います。このコロナ禍だって、我々世代がもっと我慢すべきなんです。多くの国で子どもたちが閉じ込められましたが、子どもが教育を受け友情を育む権利を奪うのは間違っていますよね。一方で、一部の身勝手な大人たちが飲みたいとかつまらないとか文句を言って出歩いていた。子どもたちではなく、大人たちから率先して行動変容・社会変容を実践できたなら、もっと早く収束の道も開けたのではないかと思います。

 

三枝:一般的な学者さんのイメージとは異なる風貌(笑)からも先生の個性というのはビシビシ伝わってきますが、その先生の個性を培った経験や体験は何だったのかとても興味があります(笑)。ご自身が今の道を進まれるきっかけのようなものがありましたら教えてください。

 

五箇:生き物の面白さに目覚めたのは、幼少の頃ですね。私は1965年生まれですが、高度成長期とはいえ、富山県の故郷はまだまだ自然が豊かな場所でした。田園風景が広がり、町には小川が流れ、生き物の宝庫でした。秋になれば空を埋め尽くすほどのアキアカネが、夜にはコウモリが飛び交っていました。その辺の野原でさまざまな昆虫やカナヘビを捕り、川ではザリガニや亀を捕獲し観察したり育てたり、時には子どもならではの残酷さでそれらと「弄って」遊んでいました。子どもがそういう関わり方をしてもへこたれないくらい生物多様性が豊かだった。自分は、人間とは全く異なる姿形をした生き物の生態に対する興味が強かったと思いますね。
でも、そのまま生物を学ぶようになったわけではなくて、高校では工学を目指して物理化学を専攻しましたし、大学は、その頃盛んだったバイオテクノロジーに興味を持って京大の農学部に進学しました。そこでダニに巡り合って「こんなに面白い生き物がいるんだ!」と心を鷲づかみにされ、ダニの研究に没頭していったんです。

高校時代からアウトドア活動に興味を持ち、大学時代はバイクで旅をするのが好きでした。その頃は日本中、どこに行っても地域性が豊かだったことが強く印象に残っています。旅に出れば景観の変化や地域ごとの名物を味わい、ローカリティの素晴らしさを体感することが出来ました。
ですから今、さまざまな環境問題に向き合う時、その昔の知識や経験がフラッシュバックします。体験として活かされているというより、昔と今は、確実に環境が違うということがよく分かりますね。

 

三枝:幼児期の富山での生活体験、そして青年に至るまで全身で受け止め続けてきた環境体験が、今の五箇さんに非常に影響を与えているということですね。

 

五箇:そうですね、影響というか、それがあるから今の問題が見えるということです。

 

三枝:我々は自然から学ぶことの大切さを、改めて感じており、これからのプログラムの中にも、自然から子どもたちが何かを感じ取ってもらえるような場づくりをしていこうと思っているのです。今、都心に住む多くの子どもたちは、自然だけでなく、それこそ生物とも接触する機会が非常に少なくなっています。何かを教えてくれるかもしれない隣のおじさんであろうと、知らない大人との接触も許されていません。昭和の時代であれば少し郊外に行けば当たり前にあったような環境に、ずっとは無理としても、まず身を置かせて体験させてあげること。そのような事が大切なのではという仮説を立てているのですが、先生はどのようにお考えになりますか?

左からオオスズメバチ、ヒラタクワガタ、アカボシゴマダラ

 

五箇:僕は、サヱグサさんが考えていらっしゃるような活動自体は、経験値をあげる意味では重要だと思います。けれど、子どもの自然体験はテンポラルではダメだと思います。一週間やそこらの体験で終わらせてしまっては、観光旅行と変わらない。身近にある環境でローカリティを感じるということが、地方愛、そして自然に対する愛着、郷愁を育てます。その意味でも、やはり、常にそこに身を置き、季節で変わりゆく風景を目にし、そこにあるものを常に当たり前に触れる環境が、成長する過程の中になくてはいけない。今の現状では、一時的な体験でそういう世界があるのを知るのもいいでしょう。ですが、その先が大切ですね。

 

三枝:なるほど。おっしゃる通りかもしれませんね。

 

五箇:構造的に日本の環境は変えていかなければいけません。僕から見て、異常に人口が密集してしまっている東京など、はっきり言って子どもが住み育つに適した環境なのかは疑問に思います。政治機能と経済機能が一緒くたになっている密集都市というのは、世界中みても東京くらいしかないわけで、災害や国際危機に対しても非常にリスキーですし。

子どもらの事も考えれば、先ほどお話したことの繰り返しになりますが、出来るだけ早く首都圏と言われるものの機能分散をして、地方にいながらも豊かな生活が出来るという社会を実践していかなければならないでしょうね。そこから考え直していかなければ、都会に住む子どもたちは、あくまで「都会の子ども」で終わってしまうでしょうね。

 

三枝:確かに、今の都心では、子ども社会そのものが存在しにくくなっているのかもしれませんね。とは言え、地方の自然豊かな里山の子たちが自然の中で遊び、自然の恵みを享受しているかといえばそうでもなくて、車で送り迎えをされ通学道中の遊びはない、過疎が進みすぎて一緒に遊ぶ子どもがいなくて一人家にこもってゲームをしている、田んぼや川に入ったこともないような子も多いようなのです。

 

五箇:そうなんですよね。つまり、地方においても、日本全体のコミュニティに歪みが生じている。どこにいても、子どもらしい生活が送りにくくなっている。だからこそ、自立した地域経済社会を確立するのが緊急の課題なのです。

ヘラクレス

 

三枝:環境を整えることの重要性はとてもよく分かりました。しかし、それにはまだまだ時間がかかりそうですね。
生態学から気づきを得るということも解決への道の一つですが、そこに興味を持つきっかけとなる出会いの場作りも重要ですよね。今の状況の中で、我々が出来ることは何でしょう。どういう風に、都会の子どもたちと人間以外の生物との接点をつなげてあげたらいいのでしょう?

 

五箇:今出来る範囲であれば、「可愛い子には旅をさせろ」と言いますが、夏休みなどの一定期間、家族や親を離れていつもと違うコミュニティに身を置かせてあげるというのも一計じゃないでしょうか。そういう体験を繰り返し、地元やそこの子どもたちとのコミュニケーションを重ねていくことで学ぶことはたくさんあると思います。
里親的に子どもを受け入れる側の地方にとってもそれは大きな刺激になると思いますね。子どもをインターフェースとして都市と地方の繋がりが拡張できれば、いずれ、そういった経験をした子どもの中に、地方に対しての愛着心とか、第二の故郷といった心情が育っていく。それが次の新しい経済を作る機動力になっていく。子どもたちが軸になってくれるという期待が出来ると思います。

とはいえ、東京は世界の都市と比較しても緑化面積がかなり大きいですから、生物との出会いという意味では、生物の生息エリアはたくさんあるんです。身近なところにも、外来種も含めこんなにたくさんの生き物がいるということ、そして環境に適応して生きているということを見せてあげることは出来ると思います。僕の友人に島田拓さんという「蟻」の探求者がいるんですが、彼はこのコロナ禍で近所の子どもらを引き連れ、近所の公園などで蟻の観察活動を盛んにしているというのをテレビ番組で紹介されていました。生物をじっくり観察すると、進化や生態など、本当に色々なことがわかってくる。その楽しさを伝えてあげることは都会でも出来ると思いますね。英語を勉強するのに海外へ行かなければいけないわけではないのと一緒で、生物の多様性を知るのは身近な都会の足元からでも出来るのです。身近であればあるほど、毎日でも見にいく事が出来る。そういった気づきを与えるといったことがむしろ大事ですね。

 

三枝:なるほど。ありがとうございます。
お話を聞いて思ったのですが、五箇先生や蟻の島田さんが研究を続けてきたのも「好き」とか「楽しい」という気持ちがあったからこそではないでしょうか。そういう気持ちは人間ならではの原動力ですね。ちなみに、先生の背景にものすごい量のフィギュアが見えて、ずっと気になってました(笑)。事前に送ってくださった見事なCG作品もそうですが、先生の「好き」「楽しい」が溢れていますね。

五箇先生の研究室ではフィギュアが着々と増え続けている(写真:五箇先生提供)

 

五箇:ここにいるのは怪獣や恐竜などの想像上の生き物ばかり。僕は、見た事がない生き物の姿形、その造形美が大好きなんですよね。特にキングギドラが大好き。コレクション的には世界一くらいなんじゃないかな(笑)。将来的には博物館作ろうと思っているんです。この話をしたら止まらないです(笑)。

 

三枝:それはすごい(笑)。

 

五箇:CGも、学会発表用に描いていたら極めたくなっちゃた(笑)。油彩画をしていた母の影響で、教えてもらったわけではなかったですが、小さい頃から絵を描いたり、プラモデルを作って色をつけるとか大好きでしたね。

 

三枝:全てが繋がっているんですね。いくつになってもそういう気持ちを忘れずにいられるって本当に素敵だと思います。
子どもたちがそれぞれの「好き」や「楽しい」に出会う場を、少しでも多く創造することが、まずは私たちの使命なのでしょうね。先生にはまた色々と教えていただきたいですし、子どもたちの先生としてもぜひお願いしたいと思います。

今日は書けないお話もふくめて(笑)たくさんお聞き出来てとても勉強になりました。もしそちらに伺っていたら、フィギュアも一体一体拝見したいですし(笑)、2時間ではとても時間が足りなかった気がします。いつか研究所にお伺いして、またゆっくりお話できますのを楽しみにしております。今日はどうもありがとうございました。

 

五箇:安心できるようになりましたらぜひお越しくださいね。

< 五箇先生の著書紹介>

『これからの時代を生き抜くための 生物学入門』(辰巳出版)

~生物学を学べばヒトはもっと強く、もっと優しくなれる~

本書は、『全力! 脱力タイムズ』『クローズアップ現代』などさまざまなメディアに出演する五箇公一先生による “人生に活かせる”生物学の入門書。
堅苦しい生物学の講義ではなく、コロナが人間社会を襲っているいま、withコロナ時代、そしてポストコロナ時代という新しい時代を生き抜くためのヒントを、生物学を通して学んでいく”心に残る”一冊です。(amazon.co.jp参照)

 

『いきものがたり』(ダイアモンド社) 養老孟司、藤田紘一郎、しりあがり寿、ほかとの共著

急速にすすむ地球温暖化は、人類を含めた多くの生きものたちに深刻な影響を与え始めました。地球温暖化による気温上昇、気候変動に追われ、また人間による乱獲のせいで、多くの生きものたちがこの地球から猛烈なスピードで消えていく…。

生きものたちがSOSを発信しています。

地球にはたくさんの種類の生きものがいて、豊かな自然環境があり、すべての生命が輝く個性をもっています。
本書は、この「生物多様性」の重要性を、説明や理屈ではなく、驚きや感動で直感的に理解、認識できるビジュアルブックです。生命をテーマにした詩、先住民の残した深くて重い言葉、専門家の解説、アーティストの視点など、文字通り”多様な”視点を織り交ぜながらユニークな編集がされています。(出版社コメントより)

 

 

<Sayegusa Experience Talk>について

いまSAYEGUSA は、子どもたちが様々な感動や気づきに出会える環境を創造するブランドとして生まれ変わろうとしています。 SAYEGUSA が提供するホンモノの体験を通じて 子どもたちの感性や創造力を、もっと大きく、もっと力強く育ててあげたい。彼らの無限の可能性を引き出し、その未来をかたちづくるホンモノの体験を丁寧にひとつひとつ差し出せるような 夢いっぱいの”ワンダーランド(プラットフォーム)”を目指したいと考えています。 新しいSAYEGUSAをお披露目するまでの間、対談コンテンツ「Sayegusa Experience Talk」を配信いたします。大空に飛び立つ綿毛を見守るタンポポのように三枝亮とゲストが、夢に向かって飛び立っていく子どもたちにエールを送ります。