<対談> 佐藤允彦さん

2023.07.23

<対談> 佐藤允彦さん

ジャズピアニスト・佐藤允彦さんが語る
自由で直感的な即興演奏の楽しさについて

今回の対談のゲストは、SAYEGUSA &Eの体験プログラム「会話する音 ハッピー・ジャム」(8/25開催)のナビゲーターであり、長年日本のジャズ界を牽引してきたピアニストの佐藤允彦さんです。佐藤さんがどのようにしてジャズの道に進み、ご自分自身の音を見つけてきたのか、佐藤さんの大切にされているスタイルとは何か、など語っていただきました。そして、子どもたちが音と自然な関わり合いを通じて、自己表現の新たな可能性を見つけることを目指すプログラム「会話する音 ハッピー・ジャム」についても、佐藤さんの視点から話を伺います。佐藤さんの音楽の旅と、子どもたちの成長の旅が交差する場所で見つけることができる魅力と可能性とは?ぜひご一読ください。

Photo : Yoshihiro Miyagawa , Ryo Saegusa(monochrome)
Place : 霞町音楽堂

佐藤允彦(Masahiko Sato)

1941年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、米国バークリー音楽院に留学、作・編曲を学ぶ。帰国後は数多くのアルバム制作に携わり、国際的にも高い評価を得ている。また、ベルリン、ドナウエッシンゲン、メールス、モントルーなどのジャズ・フェスティバルへも出演し、国内に止まらない広範な活動は常に注目を集めている。

1981年から2020年までミュージックカレッジ・メーザーハウスの音楽理論、作・編曲、ピアノ部門主幹講師。1997年、自己のプロデュース・レーベル〈BAJ Records〉創設。

 

三枝: 佐藤さんは幼少期からピアノに親しみ、早くからプロのジャズピアニストとして活動を開始したと伺っています。その才能は日本国内だけでなく、海外でも広く認知され、多くの国際的なジャズミュージシャンと共演されてきました。まずは、佐藤さんの幼少期についてお伺いしたいのですが、音楽との初めての出会いやジャズを始められたきっかけなどお話いただけますか? 

 

佐藤さん(以下敬称略):そうですね、話し始めると長くなるかもしれませんが…私は元々音楽とは全く縁のない家庭で育ちました。母親は明治の女性ですので、それなりの日本舞踊とかちょっとした三味線とかやっていたとは思いますが。僕が生まれたのは、真珠湾攻撃のあった年で、その頃両国に住んでたんですね。父は日本軍に携帯用の浄水器を納入する仕事をしてました。そういう関係で軍の事情が分かるので、そろそろ戦争やばいねっていう話になって、それで両国から中目黒に引っ越したんですね。その家にたまたまピアノがあったんです。

終戦になって、「これから世の中が荒れるだろうから、音楽をやらせておけばグレないんじゃないか」みたいなことを母が言い出して。たまたま通っていた幼稚園の園長先生の息子さんがバイオリニストだったんです。その方にピアノとバイオリンの手ほどきを受けたのが始まりです。

 

三枝:なるほど、それが音楽へのエントリーポイントだったんですね。

 

佐藤:そうなんですが、正直言って当時はピアノはあまり好きではありませんでした。その幼稚園は夜になると空手の道場をやっていました。「男の子のくせにバイオリンなんか持って歩いて」って、みんなに「ヤーい」とからかわれるので、僕としては空手の方が魅力的でしたが、母はそれを許してくれませんでした。
当時、ショパンの伝記映画が上映されていて、それを見に行きました。その映画に非常に感動した母から、映画の中でショパンが演奏する幻想即興曲を弾けるようになったらピアノをやめてもいいと言われました。そこで一応、曲が弾けるようになりましたが、結局はピアノをやめさせてはもらえず、そのまま音楽の道を進むことになりました(笑)

ジャズとの出会いについてですが、戦争が終わり、日本軍相手の仕事をしていた父は何か手を打たなければならなくなりました。が、全くうまくいかず経済的に困窮してしまったんです。ある時、父は「これからは自分たちで生活していくように」と言い放ちました。僕がずっとピアノをやっていたので、「君はピアノが弾けるんだから、それで生計を立ててみてはどうか?」って。

その頃、穐吉敏子(あきよしとしこ)さんというジャズ・ピアニストがいて、とても素晴らしいと評判でした。彼女がオスカー・ピーターソンに認められ、アメリカに呼ばれるという記事を見つけた母が、「ジャズをやるとあなたもアメリカに行けるかもしれないから、ジャズをやりなさい」と言い出したんです。

 

三枝: なるほど(笑)

 

佐藤:当時はラジオでよくジャズが流れていましたし、ジャズの番組もありました。だからジャズという音楽がどんなものかはなんとなく知っていました。ただ、どうやって習えばいいのか、どうすればいいのかは全く分からなかったんです。

その頃は借家に住んでいましたが、それでも母が家事をしている横でピアノを続けていました。その家のお風呂っていうのが薪でたくものだったんで、煙突掃除しなきゃいけない。たまたま僕がピアノを練習している時に煙突掃除の人が来て、「お宅の坊や、いつもピアノを練習してて偉いね」と褒めてくれたのをいいことに母が「この子にジャズやらせようと思うんだけど、ジャズってどうやって習ったらいいのかね?」なんて言ってみたら、煙突屋さんが「僕のお客さんでジャズの先生いますよ」って(笑)

 

三枝: それはすごい出会いですね(笑)

佐藤 : それで煙突掃除の人の紹介で、そのジャズの先生のもとへ行ったんです。ピアノをちょっと弾いてみたら「それだけ弾けるんだったらジャズは感じをつかめばすぐできるから、これを聞いて勉強しなさい」って78回転のSPを1枚貸してくれたんですね。裏表一曲ずつ入ってました。ただ、初めて聴いたその曲は全く理解できなかったんです。

それで、譜面に書き起こすことにしました。それを元に練習して先生に弾いてみせたところ、「それだけできるのなら、もう教えることはないよ。実際にやってみるべきだよ」と。その先生が僕をスクーターに乗せて、銀座とか、ジャズバンドが演奏している場所に連れて行って、「今日ちょっとこの子見学させて」と紹介してくれました。でも傍で見ていても、実際に何が行われているのかは全く分かりませんでした。だから1ヶ月間ただ見ているだけを続けました。

それが12月の初めから大晦日まで毎日。僕は高校生だったので、学校が終わると家に帰り、食事を済ませてから銀座のクラブに通っていました。大晦日になった時、バンドのメンバーから「坊や毎日来て偉かったけど、俺たち今年いっぱいで終わりだから、来年になったら次のバンドが来るから、またそれに頼んで見学させてもらいな」と言われたんです。そこに入ってきたのが、来年から入る大関さんっていう人だった。
「今ね、ピアノがいなくて困ってるんだよね」という大関さんに「ピアノならここにいるよ」なんて紹介されてしまって、その人もはやとちりで、「あなたピアノですか。じゃあ、来年からお願いします」とか言われて、「何もできないですから。僕は見学してるだけなんだから」っていくら言っても、「まあまあ」って全然聞いてもらえない(笑)

それで仕方なく、1月4日に父の古いスーツを着て再びその場所へ行きました。とりあえずジャズのしきたりとして、知らないメンバーがバッと集まったらとりあえず、セッションで1曲やるわけです。そこで、「Fのブルースをやるから、ピアノさん、イントロを弾いてくれますか?」と言われました。「ブルース?それは何ですか?」と聞いたら、「本当に何も知らないんだな」と驚かれました。それでも、新年が始まったばかりで「ピアニストを探す時間もないから1ヶ月だけおいてやる。その間に勉強しろ」と、そのままいることになりました。「分からなかったらそこは弾かなくていいから」と。それが、僕がジャズバンドに入るきっかけになったんです。

 

三枝 : なるほど、それが佐藤さんがジャズの世界に入ったきっかけなんですね。高校何年生ですか?

 

佐藤 : バンドに入った時は2年生でした。17歳。

 

三枝 : 17歳! ちょっと伺いたいのですが、私たちの世代が理解するのは難しいですが、戦後の日本というのは映像を通じてある程度のイメージを持っています。

 

佐藤 : 確かに、幸せな世代ですね。

 

三枝 : すみません・・・ですから佐藤さんがピアノやクラシックといった洋の音楽を弾き始めた当初、一般の感覚はまだ日本第一主義であったわけですよね?

 

佐藤 : そうですね、戦時中は敵性音楽でしたから。

 

三枝 : そういう中で、戦後真っ先に、小さい頃に映画をきっかけに西洋音楽をスタートされた時って、周りの目とか温度差みたいなものは結構おありだったんでしょうか?

 

佐藤 : 戦争が終わった途端にすべてが一変し、全てがアメリカ化したのです。当時の歌手である笠木シヅ子さんのブギウギが流行ったように、アメリカのものが何でもいいという雰囲気でした。

 

三枝 : 一気に変化したんですね。逆に言うと、そういうことの理解のある多くの方たちからすると「ピアノやってるのか、いいね」って言われる時代になっていたんですね。

 

佐藤 : そうですね。一般的には男の子がピアノを弾くというのはまだ少々奇異な風潮がありました。でも、戦争中から隠れてレコードを聴き続けていたようなジャズのファンはずっと存在していましたし、クラシックもドイツの作曲家以外は許されなかった時代もありました。すべてが一夜にして大きく変わったのです。

逆にね、進駐軍が来た後、日本がどうしてこれまで抵抗できたのかを理解しようとしたとき、それは武士道や武道の精神があったからだと。だからそういうものは全部ダメになりました。例の幼稚園でも、空手道場をやっているなどと表沙汰になったら大問題になるわけです。本当に猫が腹出してひっくり返っちゃうみたいに「アメリカさん」と変わりました。

 

三枝 : ご苦労されたこともあったのかなってちょっと思ったんです。

 

佐藤 : そういうことはなかったですね。逆に言えば、その時代は新しい何かに挑戦する楽しさがありました。例えば、石原裕次郎が出てきてドラマーを演じたりすることは、その時代の象徴だったとも言えます。

 

三枝 : 今でいうとトレンドでしょうか。
話を元に戻しますね。1ヶ月って言われたのがそのまま続いたんですか?

佐藤 : 「1ヶ月どうやって勉強すればいいんですか?」と聞いたところ、ジャズのレコードばかりを聴かせる店が東京駅の八重洲口にあると教えてもらったんです。それで、学校が終わると銀座の店が開く前に、東京駅まで行ってはレコードを聴いて、とにかく覚えるという日々を送っていました。

 

三枝:自分で譜面をおこして、楽曲を理解し演奏するという経験を17歳で…。今の時代はジャズを始める人々にとって、情報がいくらでも揃っていることを前提とした世界ですね。しかし、先生の時代はそのようなリソースはなかった。音楽への入り方は今とは全く異なるものでした。そういうご経験は、現在ならば「苦労」と言えるでしょう。先生から見て、それらを今の世代と比べてどのように感じられますでしょうか?

 

佐藤:すごい幸せですよね。うまくなるのがものすごく早いです。素晴らしいですよ今の人たちは。

 

三枝:何かに興味を持ち自分で行動に移して学ぶという力は、先生の現在のスタイルに影響を与えているのではないかと思いますが?

 

佐藤:確かに、ジャズは形が不定型なものですから。

 

三枝:なるほど、確定的な形がないのですね。

 

佐藤:今の人たちは、自分が好きなスタイルを見つければ、すぐにそのスタイルに全身全霊で夢中になり染まることが出来ます。しかし、僕たちの頃は何も参考になるものがなかったので、手探りでやっていました。誰かを手本にして猛追してね。僕は、素晴らしいピアニストであるオスカー・ピーターソンのスタイルを一生懸命追い求めていました。

その頃の日本のジャズ界では、人々が「あの人はどういうスタイルのプレイヤーなの?」と尋ねたとき、「あの人はオスカー・ピーターソンをやっているよ」と答えるような評価がされていました。例えば僕たちの先輩である渡辺貞男さんは、初めはチャーリー・パーカーのスタイルから始まりました。

僕が「銀座界隈にああいう奴がいる」と徐々に知られ始めた頃、オスカー・ピーターソンが日本に来たんです。レセプションが開かれ、コンサートが終わった後にピーターソンを呼んで皆で楽しむ予定だったのですが、ピーターソンの演奏が長引いてしまい、待たされていたお客さんのために、「佐藤くん、ピーターソンだろ。なんでもいいから繋いでおいて」ということになりました(笑)。それで一生懸命にピーターソンのように演奏していると、しばらく経ってふとみたら目の前におっきな靴があってね。ピーターソンだった。もはや弾けなくなりますよね(笑)。

本家の前では、自分は別のスタイルを演奏しなければならなくなります。だから僕は、誰のスタイルをやっているのか尋ねられたとき、「俺のスタイルをやっている」と答えられるようになりたかった。それが当時の目標でした。

 

三枝 : 真似をしていたらピーターソンが目の前に現れたというエピソードは想像しただけでも冷や汗がでますね(笑)でも、それをきっかけに、「佐藤允彦流」というものを創出することが目標となったのですね。

私は専門家ではないのでお聞きしてもわからないかもしれませんが、オスカー・ピーターソンのような巨星の存在感が影響したという、佐藤さんの個性やスタイルは具体的にどのようなものと言えるのでしょうか?

 

佐藤 : 個性を決定するのは、音に対する色彩感覚だと思っています。和音やメロディーの組み合わせからどういう情感を出すか、それからリズムに対するタイム感覚ですね。音楽をやるって、筋肉運動なんですよね。自分でこうかなって思ったことを瞬間的に、目を通さずに筋肉に伝えられるか伝えられないかみたいな。そういう感覚なんじゃないかと思います。

三枝 : なるほど、そのあたりの感覚、センスと反射神経にオリジナリティが出るのですね。

 

佐藤 : そうですね。そして、相手がどのようにリアクションしてくるか。ジャズは不定形ゆえに、瞬間的な将棋のようなものです。一手を打った後、相手がどのように反応するか、その対応の中から間髪を入れずに最適な一手を選ぶ。そういったやりとりが上手く行くと、素晴らしい音楽が生まれます。

 

三枝 : 普段使っている言葉のコミュニケーションでもなかなかそうはなりません。まさに音楽のコミュニケーションですね。経験はなくともその楽しさは想像できます。

 

佐藤 : 音楽を通じて、お互いの人となりも感じ取ることができます。音で、この人とは話が通じないな、と感じることもあります。

 

三枝 : それは驚きですね。さて、少し話を戻しますが、クラシックは嫌々されていたとのことでしたが、ジャズはお母さんにすすめられたものの、自分に合っていたという感じでしたか?どこかの段階で、この音楽を生涯の道と決められたのだと思うのですが。

 

佐藤 : それは、長い間やっていたから、他にやることがなかったから、やり続けていたという感じですね(笑)僕にとってのジャズは即興、インプロビゼーションが大切です。その即興の喜びを見つけてからは、他のことはあまり重視しなくなりました。

 

三枝 : その即興に、喜び、やりがいをみつけられたのですね。

 

佐藤 : 同じようなインプロビゼーションの興味を持っている人であれば、どんな人、どこの国の人でも、何歳でもどんな人でも繋がれる。それはすごく楽しいですね。

 

三枝:それが佐藤さんのジャズの魅力なのですね。
子どもたちとのプログラムでも伝えたいですね。言葉を超えて、音楽で人と繋がれるよと。

 

佐藤:「こういうふうに叩きましょう」と言ってしまうと、それ以外は間違いになってしまう。そうではなくて、「君がこういう風にやりたいなと思う通りにやってごらん」って。そういうことが上手く伝わったら子どもたちにも楽しさが伝わると思います。

三枝 : これからどのような音楽を発信していきたいと思っていらっしゃるのか、少し教えていただけませんか?

 

佐藤 : 先ほども話した通り、一番の関心は完全な即興演奏ですね。何も決めずにただ始まるような。今、それが一番刺激的で面白いと感じています。例えば、ピアノはある一定の原則に基づいて音が出る。それはある意味で数学的なものです。しかし、ピアノでは表現できない音律があるんです。例えば、アラブやインド、東南アジアの楽器の音律とか、とても魅力的に感じますね。これはピアノ平均律とは違う非平均律の世界です。私は自由なインプロビゼーションを追求してきて、その中でジャズの音と合わない音を探してきました。例えば、アフリカのバラフォンという木琴があるんですが、音程の狂ったような音が出る。それと平均律のシンセサイザーとでセッションしたのですが、バラフォンを演奏しているおじさんからは、「この楽器は音程がおかしい」と指摘されちゃいました(笑)。

 

三枝:それで今後は、ジャズの中にもそういった違う音律を取り入れていこうとされているのですね?

 

佐藤:一緒に演奏して、どのような音の組み合わせがうまくいくのか、またはタイム感覚も考えなければなりません。私たちは時間を等間隔の集合体と捉えがちですが、それは一面的な見方で違う世界もあります。例えば、邦楽の世界。地歌っていうのがあって、時々三味線が入ってくる。どういうタイム感覚でやってるのかなと思うんですね。去年、地歌の人とコラボしたCDを作ったのですけど、一緒にやってほしいって言われて、やりましょうって言ってしまってから、はたと困りましたね。

地歌の音は不規則で、歌い手がどのようなタイム感覚で歌っているのか理解するのは非常に難しかった。そこで、その人の歌をコンピューターに入力し、音の間隔をメモリーに記録して西洋の楽譜に書き起こし、次にどの音が来るか予測しました。そうして、その音が来たときに何を弾くか決めていったんです。非常に大変でしたね。

 

三枝 : それは大変な作業ですね。でも、そういった世界にも興味を持っていらっしゃるわけですね。

 

佐藤 : そうですね。例えば、仏教のお経である声明は完全に無拍節なんです。それらを研究し、自分なりに理解し、それに合わせて演奏することは大変ですがやりがいがあります。

 

三枝 : これからも新しい世界とのコラボレーションを積極的に行っていかれるのですね。

 

佐藤 : そうですね。解明したいことはまだまだたくさんあります。

 

三枝 : 佐藤さんがこれまで積み上げてきたジャズという世界、それにご自分の個性をどのように投影されてきたのか、教えていただけますか?

 

佐藤 : それは難しい質問ですね。かつて有名なジャズシンガー、ナンシー・ウィルソンとアルバムを作る機会があり、ニューヨークでレコーディングをしました。その際、「どうだった?」と彼女に尋ねたところ、「とても素晴らしかった。オリエンタルで素晴らしかった」と。私はニューヨークのサウンドのつもりでいたのに、「オリエンタル」と言われてしまった(笑)。それ以来、ただ自分が良いと思うものだけを演奏するようになりました。

 

三枝 : 多くのことを頭で考えすぎず、自身の直感に従う、と。

 

佐藤 : その通りです。自分が染まったものしか表現できないのだから、格好つけてはいかんと。

三枝 : 今回のプログラムでは、子どもたちに本来の”子どもらしさ”を発揮してもらい、それを自由に表現する機会を提供できればと思います。学校では「こうあらねばならぬ」という規則に従って学ぶ時間が多いですからね。多様性が叫ばれる一方で、実際にはその逆行が見られるのが現状です。

 

佐藤 : 子どもたちは素晴らしい発想力を持っていますよね。教育する側もそれを許容すべきだと思います。たとえば、「カレーと一緒に食べるパンのようなものは何ですか?」という質問に「はい。そうです」と答えた子がいました(笑)

 

三枝:「何ですか」が「ナンですか」(笑)

 

佐藤:本来なら、その答えは間違っていますが、その発想を楽しんで「これは面白い」と評価する先生がいるべきだと思います。

 

三枝 : その通りですね。

 

佐藤 : あるいは、「あたかも」を使って例文を書きなさいという指示に対して、「もしかしたら冷蔵庫にバナナがあたかもしれない」とか(笑)先生がウケてあげなきゃ。
子どもたちの発想はとてもチャーミングなんです。でも、残念ながら現代社会はそのチャーミングさが許されていないと感じます。

 

三枝 : 確かに、その「受け止める」というのは大切なことですね。子どもたちが自分らしさを制限され、大人が期待する通りにしか答えない、大人の顔色を伺いながら行動しなければならないような状況になってしまっていますよね。
今の時代や子どもたちの成長環境を考えると、佐藤さんが追求するジャズの世界における若者たちの取り組みはどのように見えていますか?先ほどは、技術的な上達は早くなったとお話しされていましたが、それは一つのスタンダードに対するものですよね。佐藤さんが指摘されていた音楽性や色彩感覚、個性といった視点で見るとどうでしょう?

 

佐藤 : そうですね。僕は若者たちが自分の本性を出し切っていると感じることが少ないですね。もっと自分を表現してもいいのにと思います。

 

三枝 : つまり、ある種のスタンダードに収まってしまっているということですか?

 

佐藤 : たとえば、空き瓶で楽器のようなものを作るとしますよね。当たり前に振ったりすれば想定された音が出ます。しかし、異なる音を出すにはどうすればいいか、それを子どもたち自身が考えるかどうか、それが問題です。例えば、蓋を開けてほーっと吹くとか。今回のプログラムでも、子どもたちが自由にアイデアを出せる環境を作りたいと思っています。

 

三枝 :子どもたちがそのようなことをできる時間をたっぷりと持てるようにしたいですね。
おそらく多くの子どもたちは習い事に慣れていて、佐藤先生ということで緊張する可能性もあると思いますが、なるべくリラックスしてもらって、本来の子どもらしさが出せるように工夫したいですね。

 

佐藤:とても面白い話があるんです。アフリカのある部族では、川で洗濯をしているときに、誰かが水面を叩き始めるんです。それに他の人たちが続いて、次第に皆で一緒にリズムを刻むんです。そんな音にまつわるプリミティブで自由な体験を子どもたちにもしてほしいと思います。

 

三枝 : 楽しみですね。その様子をジャズ界の巨匠である佐藤さんが伝えるとなると、その情熱や経験が詰まった、貴重な時間になることでしょう。
保護者の方たちにも新たな気づきをもたらしてあげたいと考えていますが、改めて、佐藤さんからご覧になってこのプログラムの魅力は何だと思われますか?

佐藤 : 親子でこういう体験をするプログラムというのは、少ないのではないでしょうか。父親には父親自身の、母親には母親自身の世界観があります。しかし、それらを一旦取り払って親子で共有の時間を持つというのは結構有意義な気がします。バラバラな世界観の垣根を取り除き、子どもと感性で繋がることができれば、それは素晴らしいことだと思います。

 

三枝 : 大いに共感します。その魅力が実際に親子間の絆を深めることに繋がると良いですね。ぜひ、実現させていきたいと思います。よろしくお願いします。

 

佐藤:親御さんが「この子はこんなことを考えていたんだ!」ということに、もし気づくことが出来たりしたら本当に素晴らしいことですね。

 

三枝 : そうですね。たいていの方は、2時間のプログラムの最後に得られる結論を学びたいと思って参加してしまうと思いますが、そうではなく「プロセス自体を大事にしましょう」とお伝えしたいです。

 

佐藤:「お父さんは怖い人だと思っていたら、実は・・・」というような発見があったら面白いですよね。

 

三枝:親子で参加することによって、互いに新たな人格を見つけ合い一緒に成長することができたなら本当に素晴らしいことです。親御さんは「これはしないで」「あれはしないで」と子どもの行動を制限しようとするような雰囲気を作らずに、むしろ自由に参加してもらいたいと思います。

多くの場合、親子でジャズに触れるという機会はあまりないのではと思います。参加にあたりジャズという言葉に躊躇してしまう人もいるでしょう。でもこのプログラムはジャズだけでなく、音楽に触れたことがない人でも十分に楽しむことができます。

子どもたちがリラックスしながら感性のままに音に親しむだけでなく、佐藤さんの演奏される聴く時間もあり、本物のジャズの持つエネルギーを感じてもらいます。このコントラストは非常に重要な要素だと思います。また、演奏会場の大きさも重要だと思います。ここ、霞町音楽堂さんの空間では、大ホールで演奏を聴く経験とは違って、子どもたちの感じ方受け取り方も全く変わってくるはずです。

多くの親子さんに参加していただきたいと思います。楽しみにしていますので、よろしくお願いいたします。

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