<インタビュー> 鈴木 康広 さん

2018.08.16

<インタビュー> 鈴木 康広 さん

閃きと記憶を重ね、アートの扉を叩く

*この対談は、2018年8月に公開されたものを再構成し掲載しています

まるで想像すらできなかったアイディアや、人の心を動かすような表情を創り出すアーティストがいます。大切なのは、他人と違うユニークな視点を持ち続けることと、そして、ほんのちょっとの勇気を付け加えること。「見立て」から広がる、鈴木康広さんのアートは、巨大なファスナーの形をした船が大海原を切り拓き、森の切り株をかたどったバケツに落ちたしずくが、波紋で年輪を描き出します。

photograph _ Yoshihiro Miyagawa 

鈴木 康広(すずき やすひろ) 
1979 年静岡県生まれ。2001年東京造形大学デザイン学科卒。2014 年に水戸芸術館、2017 年に箱根 彫刻の森美術館にて個展を開催。2014 毎日デザイン賞受賞。作品集に『近所の地球』(青幻舎)、絵本『ぼくのにゃんた』(ブロンズ新社)など。武蔵野美術大学教授(2021年より)、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員も務める。 www.mabataki.com

鈴木さんがアーティストになったきっかけは?

小さなころから教科書などの文章を読むと、単語ひとつでも何か自分のことを思い出し、そちらに考えが広がってしまう子でした。ずっと後に気づいたのですが、文章を客観的に読むのが苦手だったんです。それもあって大学受験は難航し、紆余曲折の後に美術大学に進みました。つくることは好きだったので、木工職人に憧れて家具や靴を自作してみたり。でも、半年くらいである程度まで行くと満足してしまう。自分はどうやら職人向きでもないなと思いました。一方で、飽きずに続けていたことがあって、それは高校時代に始めた小さなパラパラマンガづくりでした。美大でも、描いては友達に見せていたら、「今日はないの?」と言われるようになって。自分の感じる「面白さのツボ」を誰かに伝えることって、飽きないんじゃないかと気づいたんですね。

代表作には、海を切り開く《ファスナーの船》など、身近な何かを意外なものに見立て、想像力を刺激してくれるものが多いですね。

意外性という意味では、未知の法則を見破る科学的発見などもすごいと思います。でも僕はそれらともまた違う、人の心の中で関係し合っているのでは?というものを作品化したい気持ちがあります。
《りんごの天体観測》という作品では、無重力状態の暗闇で瞬いている星のイメージと、リンゴの表面で起きているどれひとつとして同じものがないまばらな模様が、ある視点で見ればそっくりだと思いました。そしてその「似た振る舞い」を通して初めて宇宙について驚けることもある。これは、たとえば宮沢賢治のような表現者がやってきたことでもあると思うし、科学的な歴史だけでなく、そういうことを考えてきた心の歴史にも蓄積がある気がします。

水面に滴が落ちると波紋が年輪のように広がる《切り株のバケツ》も、単に形の類似だけでなく、一瞬と数十年という時間の対比に考えさせられます。

波紋は外側へ瞬くまに広がって、中心側から消えていく。木もいつか真ん中から朽ちていくけれど、表皮側で生きている。それは僕ら人間の始まりと現在地を考えさせもします。そんな風に、波紋ひとつからいろんな考えが生まれる。だから僕は作品をつくり始めるとき、まだ創造の始まりに立ち会っただけという感覚があります。その作品を僕以外の人がどう受け取るかを考えていくだけでも、まだやることがたくさんあるなと思うのです。人から説明されて理解できるものというより、個人の経験の中から生まれる、鳥肌が立つような経験もあるから。

客員研究員を務める東京大学先端科学技術研究センターにて。発想の起点となるノートが何冊も並んでいる。机中央の作品《りんごのけん玉》は、伝統玩具から万有引力の法則へ思いを馳せるような作品。なお、取り柄がなかったという中学時代、クラスのけん玉勝負で一番になり、先生から贈られたけん玉を今も大切にする。
客員研究員を務める東京大学先端科学技術研究センターにて。発想の起点となるノートが何冊も並んでいる。机中央の作品《りんごのけん玉》は、伝統玩具から万有引力の法則へ思いを馳せるような作品。なお、取り柄がなかったという中学時代、クラスのけん玉勝負で一番になり、先生から贈られたけん玉を今も大切にする。

そうした創作の起点になるものはありますか?

僕にとっては日々のスケッチが大切です。いつも同じ種類のノートを使っていて、何か思いつくと、パッと開いたページに描きとめておく。たとえば最初に「蛇口から水ではなく煙が出ている様子」を描くとします。その後、それを忘れたころに開いてみると、最初は全く思いつかないものが出てくる。「これ、煙じゃなくてカレーのようにも見えるな」とかですね。それをノートのまた別の場所に書いておく。こういうことをほぼ毎日、もう長いこと続けていて、それでも毎回発見があります。たとえば新しいプロジェクトの声がかかって、準備期間3ヶ月だと言われたら、自分が一生大切に思えるだけの作品をつくるのには、時間が足りない気もする。でもこのノートをめくれば、自分の15年間分を呼び寄せられます。めくれば瞬時にどこにでもいけるし、今の自分と過去の自分が出会うとき、予想外のことも起こる。アイデアの起点というだけでなく、思考を統合するためのツールでもあります。

子どもたちが自分の表現力を磨くアドバイスがあれば、ぜひお願いします。

僕は、いろんなことに気づくのが人より遅い方だと思います。最初に話した、かつて文章が苦手だったことも、自分の中でここまで整理できたのは割と最近だったくらいです。でも逆にいうと、気になったことは人一倍、わからないなりにでも覚えていました。人の心ってそれぞれよくできているなと思うのですが、「なんで今日、あの人のこと思い出したのかな」「なぜあのことを今ごろ思い出してしまったのだろう」というのが強く印象に残ることがあります。それらはいつもポジティブな記憶ばかりとは限らない。でも僕はこれまで、思い出すことを通じて新しい発見や、面白さを見つけることもできた。だから、創造と「思い出すこと」の関係は考えたいですね。そしてその際にも「スケッチ」は有効なのかもしれません。スケッチって、辞書で引くと「印象を写し取る」とあるんです。だから紙に線で描いていくだけでなく、言葉で書き留めるのも、人と話すのも、あとは鼻歌や寸劇とか(笑)、いろんな手段でできるのではないでしょうか。なので、もしそうしたスケッチの仕方を子どもたちにも教えられたら、もっともっと面白い世界が見えてくるのかなと思いました。

何もないところから素晴らしいものが、というより、まさにパラパラマンガのようにそれまでのストーリーから次の一枚が生まれるのでしょうか?

そうですね。いきなり突拍子もないことを発想しようというより、すでに自分の中にあるものが、いかに面白いかっていうことかなと思うんです。僕もあるアイデアと長く付き合っていると、それまで思いもしなかった新たな関係性が見えてきたりする。
でも実は、その気づきはすでに最初の直感に潜んでいたのかもしれない。そういう不思議な人間の力というのはあるのかなと思っています。特に子どものころって、誰もが「超人」になりたいんですよね。自分の特別な力というか。でも、この世界にどんな種類の超人があり得るかっていうのはまだ未開拓な領域があって、飛躍できるチャンスがあるのではないでしょうか。僕はそう思ってい
るから、いまも自分のしていることに、ワクワクできるのかもしれません。

同センター内の一室には、鈴木さんの作品やその模型などが並ぶギャラリー空間も。アーティストの創造力が織りなす小宇宙のような場となっている。ちなみに写真右上は、インタビュー中でもふれている自作のパラパラマンガたち。高校時代から始め、これまでに100 冊は作ったという。
同センター内の一室には、鈴木さんの作品やその模型などが並ぶギャラリー空間も。アーティストの創造力が織りなす小宇宙のような場となっている。ちなみに写真右上は、インタビュー中でもふれている自作のパラパラマンガたち。高校時代から始め、これまでに100 冊は作ったという。